色ろうそく虹・・・について

2017-02-18 17:06:56 | 日記

「色ろうそく虹」が出来るまでには、不思議な出会いが重なりました。昨年の夏、UNITE の仲間のお一人が若い男性と共にサロンを訪ねて下さいました。彼は滋賀県の湖西で手造りろうそくをされている「大與」さんの息子さんで、たまたま「色ろうそく」をパッケージに入れて売っておられたのでした。そのパッケージが、まさしく「虹の架け橋」のかかった琵琶湖の絵だったのです。こんな偶然ってあるんだ~と驚きと共にとても嬉しくなりました。私たちの活動の話や、何故「虹」なのかという事も話し込んで、是非私たちの活動に協賛して頂けるようにお願いをしました。

「色ろうそく虹」にはケースを包み込む紙が欲しいね・・・出来ればそこに虹の詩が書かれていたら素敵だろうな・・・。そんな話をしていたら「知人が作家で、僕も時々書いてもらっています。頼んでみましょうか?」という事になりました。半透明の掛け紙に書かれた「虹はしぜんに」の詩。白井明大さんの素直な透き通る心が表れた詩に「色ろうそく虹」は包まれています。

そして私もこの「ろうそく」に思いを寄せました。

昔この小さな灯りの元に家族が集い、この小さな灯りで暖を取り、みんなが繋がっていました。モノが溢れ、平和になったかのような今、人々は一つの灯りで飽き足らず、もっともっとと我欲を出して過ごすようになってしまいました。そんな時だからこそ、私はこの小さな一本のろうそくの光にあるべき姿を魅せられてしまいました。この世に生かされた私たちが、ろうそくの灯りの意味をもう一度思い起こして、幸せな生活に戻ろうとすることが出来たとしたら、この一本のろうそくは本当の虹の架け橋になれるはずです。

大與さんの御協力で商品の売り上げの一部を支援にして下さることになりました。様々なシーンでお使い頂ける素敵な「色ろうそく虹」宜しくお願い致します

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虹のろうそくの為に素敵な燭台も作って頂きました。サロンにお越しいただけたら皆様に見ていただけます。「鳩」の羽根が広がり、いろんな形で楽しめます。

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この「色ろうそく虹」をサロンに収めて下さった17日、実は凄いご縁があったそうで、そのお話を聞いて心が優しくなりました。長くなりますが続けて書かせて頂きます。

彦根は城下町ということもあり、「和ろうそく」を造っておられる店が53軒もあったっそうです。時代の流れと共に一軒又一軒と廃業をされていきました。「大與」さんがサロンに来られて「手がけろうそく」の話をされたとき、私は「昔この近くでお爺さんが薄暗い所で手掛けろうそくを造られていたのを見たことがあるよ」と言った瞬間、「実は、その方の御親戚の方から今しがた製作途中のろうそくを預かってきたところです」と、古めかしい何年も経っていそうなろうそくの入った箱を取り出されました。

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二人で驚きながら、ろうそくのサイズを分けながら数えました。252本ありました。この製作途中のろうそくを「大與」さんで仕上げて欲しい・・・と頼まれたそうです。このろうそくを造られていた「古川五郎」さんは平成23年に91歳で亡くなられたそうで、以来どなたも後を継がれることがなく、「ろう喜」さんという看板はまだ残っているもののお店は閉まっているようです。  今から3年程前に米原市で「手がけろうそく」の話を大與さん「ご子息の名前は大西巧さん」がされた時、たまたま聞きに来られていたのが「ろう喜」さんの御親戚の方。そして今回のお話「残された手がけろうそくを仕上げて欲しい」という事に繫がったそうです。

少なくなりつつある日本の手仕事「手がけろうそく」が、時を超えて繋がった事に感動を覚えました。仕上がりを是非見せて頂きたい・・・とお願いをしました。

古川五郎さん・・・大與の大西巧さんがバトンタッチして下さる「手がけろうそく」虹の向こうから楽しみにして下さいね。

この記事に対するコメント

  • fusk 2017年2月22日07:47

    いいですね。この手がけろうそく。途中でもこのまま欲しいぐらいです。
    色々な手で物を作る職業が。機械に押されて無くなってきたのも、寂しい気がします。
    私は変な?子供で
    学校の帰りに鋳物工場の戸口にしゃがんでおじさんたちが小さな溶鉱炉から溶けた鉄を地面に流して。
    蚊取り線香の台を作っているのをいつも飽きずに見ていました。
    赤い火のような液体が地面に流されるのがきれいだなあと見とれて。。

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